AGE WELL

スローなエイジングのために

介護を放り出したくなるとき

同居して介護をしている人なら、きっと、一度くらいは介護を放り出してしまいたくなったことがあるのではないでしょうか。

介護を放り出してしまいたくなるのはどんな時でしょうか。

よくドラマとか、雑誌やラジオの投稿では、こんなに世話をしてあげているのに、本人(親とかですね)は全く感謝もせず、それどころかひどい言葉を投げつける・・・とか、あるいは、身の回りのことがもう全く出来ず、すべてやってあげなくてはならなくて、やってもやっても追いつかず、大変である・・・とかの理由で介護に疲れ果てたという話を聞きます。

私自身も、介護って、色々やってあげているのに、ひどいこととか言われちゃったりして、もうやりきれなくなっちゃうんだろうなぁ、なんて想像していました。

そして、先日私はとうとう母の介護を放り出してしまいたくなったのです。

その発端は、予想外のことでした。これまで私はてっきり母と私の間で起こること(例えばコミュニケーションとか・・・)がきっかけとなって、介護をしたくなくなってしまうのかと思っていたのですが・・・

それは違っていました。

最近、歩くのがだんだん危うくなってきた母に、リハビリの先生をつけることにしたのですが、ありがたいことにその先生(理学療法士さんです)は、週に一度、我が家に来てくださるのです。

やることは、歩く練習、安全な立ち方、とかなのですが、いつも始める前に血圧を測ります。これは大事なことですよね。

母は血圧がかなり高く、現在薬を飲んでいるのですが、認知も手伝って、抜けてしまったり、薬をうっかりどこかにやってしまったり、ということがあります。

一応私が1週間分の飲み薬を、ポケット付きの壁掛けカレンダーにセットしてあげていて、母はそれに従って飲めばよいのですが、それでもわざと飲まなかったり(理由はわからない)、薬をなくしてしまったり、飲んだつもりでも実際は飲んでなかったり・・・ということが起こります。

朝と夕に、母の部屋に行って「お薬ちゃんと飲んだ?」と私が聞くと「飲んだよ。カレンダーのポケットが空になっているでしょう?」と母。でも、それが本当なのかどうかは正直確証がありません。

実際に、母の高血圧はしぶとくて、なかなか下がってくれません。でもそれはもしかしてお薬をちゃんと飲んでいないから・・・との見方も拭えません。

そして、リハビリの先生から「だいぶ血圧が高いですね。家で毎日測っていますか?」と確認されました。私は「家では測っていませんが、週に1回、デイサービスに行っていて、そこで血圧を測ってもらっています。そのほかの曜日に週1で、クリニックに通っているので、そこでも測ってもらっています」と答えました。すると、先生はあまりよい顔をせず「本当は家で毎日計らないと・・・」と言いました。そのとき、ちょっと私は責められる感じがしたのでした。でも、その先生がおっしゃることはごもっともです・・・。

その後、そのリハビリの先生が母の高血圧を心配し、ケアマネージャーさんに報告したようなのですが・・・

今度は、ケアマネージャーさんからメールで「リハビリの者から、血圧が高いと報告がありました。担当医に連絡を取らせていただきますね」「担当の先生とはちゃんと相談しているのですか?」「本当に毎日お薬は飲んでいますか?」「お薬はどなたが管理していますか?」「ちゃんと飲んでいることを確認していますか?」「お薬はいつ、どこでもらいましたか?」「最後に診察を受けた時の先生の所見を教えてください」「これまで処方されたお薬の種類をすべて教えてください」などなど、毎日のように、私にメールが来るのです。

心配してくださっているのは分かるのですが、私はなんだか疑われているような、追い詰められているような・・・、そして母の血圧が下がらないのは私の責任なんだ・・・と思うようになりました。

一日中母のそばにいて、薬を飲んでいるかどうかを確認しなければ、私は娘として失格なのだ・・・とか、きっと周囲の人は私のことをひどい娘だと思っているんだろうな、とか。

もちろん、一日中母にぴったり張り付いて介護することは不可能です。小さいですが会社を経営していますし、社員もいます。日々の仕事もあるし、妻として家事や食事の支度もあります。

私の中では、できる限り仕事との折り合いをつけて、母の介護をしていたつもりだったのですが、ケアマネージャーさん、その他の人たちに「それではまだまだ足りませんよ!」「もっとやらないと、ダメです!」と言われているように感じてしまい、それで「自宅介護は私にはもう無理だ・・・」と放り出したくなったのです。

これは意外でした。

介護している人とされている人のこじれ、からではなく、周囲の人からストレスやプレッシャーを感じて、それゆえ介護が苦痛になるということがあることを経験しました。

介護をしている人こそが、実はケアをされるべき人なのかもしれませんね。

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